朝8時06分に富士山駅に着き、国道137号線を緩やかに登り138号を横切って「北口本宮富士浅間神社」に向かう。 神社に参拝し、吉田口登山道に戻ると、交通規制が始まり、「富士登山競走」が走り抜けていく。 最初は2人続いてバラバラとランナーが走り抜けて行ったが、しばらくすると。長く続く集団が30分位続く。 頂上まで走る選手が2,500人、5合目まで走る選手が1,276人(計3,776人)とのことだった。 東富士五胡道路の下をくぐり、しばらく上ると「中の茶屋」に到着する。ここが競争最初の給水ポイントになっていた。 「中の茶屋」の前の道を進むと、細くなったが舗装路は続き、登りはきつくなり、急なカーブも多くなってくる。 舗装された急なカーブを登ると、「馬返し」で、ここも給水ポイントになっていた。馬返しの直ぐ上に「富士山禊所」や 「大文司屋」の看板のある山小屋や多くの石柱があった。 写真は、富士浅間神社 |
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「馬返し」を過ぎると、いよいよ本格的な山道になる。長年使われてきた登山道は広く、歩きやすい。
しばらく進むと1,520mの「一合目(鈴原神社)」に到着するが、大分荒れている。 更に進み左上に立ち入り禁止の家屋が現れると1,700mの「二合目(御室浅間神社)」だった。 「御室浅間橋」を渡り、登り続けると1,840mが「三合目」で、昔三軒茶屋があり、見晴が良かったので、 登山者はここで休んでいたとのこと。我々もここで山中湖を眺めながらの休憩(昼食)する。 走り下山する競走のランナーや、後片付けの係員とすれ違いながら登ると、大黒天を祭っていたという 「四合目 大黒小屋」跡に到着する。 写真は、一合目「鈴原神社」 |
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四合目を過ぎると、石畳で整備された登山道が多く出てくる。
「御座石」のある四合五勺には、「五合目焼印所」が閉鎖された状態で残っていた。 更に登ると、「五合目たばこ屋」等の廃屋や、「富士山雲切不動神社」、「五合目早川館」跡がある。 太い石柱を抜け、舗装された車道に一度出て、再び登山道を登ると「五合目佐藤小屋」に到着する。 佐藤小屋の前を登り、「泉ケ瀧」を登り、「河口湖口五合目」に到着する。 五合目には、沢山「乗馬用の馬」が待機していた。 また、今日は「富士登山競走」の「横断幕」が、馬返し、3合目などに張られていた。 5合目から河口湖駅まではバスで下山した。 写真は、「佐藤小屋」 | ![]() |