9時半過ぎに日本橋を出発し、東京駅の中を八重洲口から丸の内口に抜け
復原で往時の姿を取り返した東京駅丸の内口を振り返る。 丸の内の古い建物の一部が残っている高層ビルを見ながら、お堀端に突き当たると、そこが和田倉門跡で、 お堀に沿って西に向かって歩き、日比谷で北上し、日比谷見附跡のある日比谷公園を左手に見ながら桜田門に、 緑豊かな皇居の周りでは、ジョギングする多くのランナーとすれ違うので、注意が必要だった。 半蔵門で皇居と別れ、新宿通りを歩く。四ツ谷駅を過ぎ消防博物館の先の交差点脇に四谷大木戸の灯篭が在った。 伊勢丹前で左折して、再び20号線に出て新宿駅南口を進む。 新宿西口の高層ビル群を仰ぎ見ながら進無と、高速道路が上を覆うようになる。 写真は、「日本道路元標」 |
上に高速道路が走る甲州街道を進み、高井戸を過ぎると一里塚と「日本橋から16Km」の標識がある。
更に進むと大橋場跡(橋の擬宝珠のような柱)と庚申塔がある。 キューピーの人形が回っているキューピーの前を過ぎて「瀧坂旧道」に入り、少し旧街道の雰囲気を味わう。 柴崎を過ぎて、再び旧道に入り、布田駅前の常性寺の境内に馬頭観音に立ち寄る。 西調布を過ぎ、高速道路の手前に「西光寺」があり、その門前に近藤勇坐像がある。 西光寺仁王門は、市の重要建造物に指定されていた。 写真は、「近藤勇」坐像 |
9時半頃、武蔵野台駅を出発し旧甲州街道に向かう。
旧甲州街道に戻り左折し、西武多摩川線の踏切を渡りしばらく行くと染谷不動尊がある。 染谷不動尊には、国宝の「阿弥陀如来」や、上染屋の碑などがある。 さらに進むと旧甲州街道沿いの集落の様子を記した常久の碑がある。 東府中駅を過ぎると八幡宮の鳥居があり、その長い参道を進むと途中に京王線の踏切がある。 踏切の先の鳥居を潜って左手に武蔵野国府八幡宮在った。 旧甲州街道に戻り、八幡宿、大國魂神社の前を過ぎて府中市役所前の交差点に府中高札所跡が在った。 直ぐその先には、番場宿の碑があり、 その先には弁慶橋の碑がある。 しばらく進むと20号線に合流し、直ぐ先の鎌倉街道の交差点に秋葉大権現常夜灯があり、 その先に熊野神社古墳がある。熊野神社古墳は上円下方墳の石造りで再現されている。 写真は、「染谷不動尊」 |
しばらく20号線を歩き、日野バイパスの横断歩道橋を渡ると「「関屋かなどこ跡」の案内板が有る。
谷保天満宮の前を過ぎて進むと、元上谷保常夜灯がある。その先の日野橋交差点で旧道に入り、 大きくカーブして南下し新奥多摩街道を横切り、下水処理場を過ぎると日野の渡し碑がある。 その先は多摩川で、堤を歩いてモノレールが走る立日橋を渡り、突き当りを右折すれば日野宿本陣と 日野宿問屋場・高札場跡がある。 中央線を渡って線路沿いの坂道を登り、日野自動車前で再び20号線と合流して進む。 しばらくして八王子市内に入り、16号バイパスの下を過ぎて旧道に入り、20号と合流して大和田橋を渡る。 橋を渡り右折して少し進むと一里塚や力士像のある「竹の花(鼻)公園」がある。 八王子中心部を進み、高層ビルの中にある八王子夢美術館前の八日市宿跡があり、 更に進むと追分の交差点の交番前に追分道標が在る。 銀杏並木の20号線を、所々で高尾山道標のある旧道や、黒い塀の旧家の有る情緒のある旧道を 進むと、情緒ある建物の高尾駅に到着する。 写真は、「日野の渡し碑」 |
8時40分に高尾駅を出発し、9時過ぎに「小仏関所跡」
「駒木野宿」に到着します。
この後、小仏のバス停の先までは、舗装された緩やかな登坂が続きます。 小仏のバス停を過ぎると、少し急な坂道になり、景信山の登山口を過ぎるると小仏峠へ の登山コースになります。 景信山登山口からおよそ30分で548mの小仏峠に到着します。 このコースでは、唯一の大きな峠越えです。 (10時30分) 写真は、「駒木野宿跡」 |
小仏峠からは典型的な古道の雰囲気を持つ下り坂で、40分程で「美女谷」に着きます。
美女谷の前後で中央高速の下を潜りますが、昔の人はこの光景を何と思うでしょう。 その後も整備された道を下り、国道20号線と合流して「小原宿」に至ります。 (11時38分) 小原宿には、立派な本陣が有り、一般に無料で公開されています。 部屋が公開され、「かご」なども展示されています。 写真は、美女谷の上の「中央高速道路」 |
小原宿を過ぎると、また旧街道を辿り「えんどう坂」を下りるか迷ったが、
大回りしてJR相模湖駅に着く。 「与野宿」を過ぎ、国道20号線脇の階段を降り、再び旧道に入ると又旧街道の 雰囲気が楽しめる。見晴らしの良い空き地で「相模湖」を眺めながら昼食をとる。 昼食の後、古道の景色を楽しみながら歩くと中央高速の「相模湖出口」の上を渡る。 さらに「椚戸(くぐど)」を過ぎると「国道20号の相模湖インター入口」の上を歩く。 (13時53分) 写真は、与瀬付近の「甲州道の古道」 |
「吉野宿 高札場」を過ぎて又20号に合流して
「吉野本陣跡」の前を通る。
沢井川の橋を渡って再び旧街道に入り、藤野駅前で20号を横切って 細い街道を歩き「関野宿」に至る。 その後も境川に架かる山梨県境の橋に向かって下り、再び急坂を上り上野原の 中心部に向かって歩く。 市内で名物の酒饅頭を買って階段を降りれば上野原駅である。 (15時55分) 写真は、「甲州道中歴史案内図」(相模原市) |
8時40分に上野原駅を出発し、9時過ぎに上野原の「大ケヤキ」を見て、旧甲州道に戻る。
20号に架かる鶴川歩道橋を渡ると「鶴川宿」が眺望できる。 この後、鶴川宿を通り中央高速に架かる橋を渡り、直進すると「大椚一里塚跡」があり、 案内板も設置されている。 その先には、「大椚宿発祥の地」がある。 ポイントには、分りやすい「甲州街道 史跡案内図」がある。 写真は、「甲州街道 史跡案内図」 |
大椚の集落を過ぎ、オリンピックCCを左手に見て進むと、
「長峰砦跡」がある。
その先で、中央高速を再び渡り切通を過ぎると、「野田尻宿」に到着する。 談合坂の反対側の野田尻宿は豊かな家並みが並び、外れにある「西光寺」も目立っている。 西光寺を過ぎて、今度は中央高速の下を通り、旧甲州道から別れて「大野貯水池」に向かう。 桜で名高い大野貯水池を過ぎると、長い上り坂が続く。 「安達野」で、再び旧甲州道に合流し「犬目宿」を目指す。 犬目宿の外れの「宝勝寺」で、 お寺に断り昼食をとる。 (12時20分着) 写真は、「野田尻宿の案内図」 |
犬目宿から数百メートル進むと、左手に日本橋から21里、20番目の一里塚
「恋塚」のこんもりした姿が現れ、 「説明板」も整備され、付近には短い石畳も残っている。 ここからは鳥沢まで、長い下り坂が続きます。 鳥沢宿からは、所々に旧道は在るが多くは20号線を歩く。 途中で、右手に入り旧中央線のトンネルや橋脚を見て、20号に戻ると 「第3号水路橋」の豊富な水の流れが目前に現れた。 その数百メートル先で、右手に入り階段を下ると「猿橋」がある。 猿橋の上からは、「第1水路橋」と新猿橋が目の前に展開する。 (15時着)今回のコース 写真は、「猿橋」 |
7時過ぎに猿橋駅を出発し北進して、国道20号線に出て甲州街道を歩き、
山梨中央自動車の前で、旧街道に入る。しばらく進み水力発電所の送水管の上を左折して坂を登る。 坂の頂上が中央線の「第五甲州街道踏切」。踏切を渡り下っていくと国道20号線に合流するが、 直ぐにまた右の旧街道に入る。しばらく歩いて20号線に合流し、コンビニを過ぎて右折して、再び旧街道に入る。 旧街道の右手には、「岩殿山」が建物の間に見え隠れする。 (岩殿山に寄り道した。)岩殿山を降りて再び旧道を歩き、大月駅前に。 大月駅前から20号線の間はタイル舗装された雰囲気のある道になっている。 大月橋東詰の、「道標」まで行って引き返し中央線を越えて左折して旧道を歩く。 再び20号線に合流して進むと、スーパーの向かいに24番目の「下花咲一里塚」が木々に埋もれていた。 大月インター入口の手前に立派な「花咲本陣」があり、 「星野住宅」の由来が解る。 写真は、「花咲本陣」 |
大月インターを過ぎて、右折し笹子川の橋を渡って左折し旧街道へ。
中央高速の手前を左折してインターの下を通り高速に沿って旧道を歩く。 笹子川と高速の間の集落を歩き、下真木消防会館を左折して「真木諏訪神社」本堂の見事な彫刻を鑑賞する。 坂を下って再び20号線に合流し、源氏橋を渡って右折し、中央線に沿って旧道を歩く。 しばらく歩いて中央線の踏切を渡ると「聖護院道興歌碑」がある。 20号線に合流して直ぐ、「山本周五郎生誕地」や、初狩の「明治天皇御小休遺跡」がある。 神戸(ごうど)に、「主に弓を引いたとして織田信長に甲斐善光寺で斬首された『小山田佐兵衛尉信茂』」 の首塚がある。 国道20号線は、交通量が多く、中央線の下を通る場所では歩道もないので、注意して歩く。 白野で、再び旧街道に入り静かな街並みを歩く。しばらくすると親鸞聖人念仏塚や 一つの株から三本の大木がある「稲村神社」がある。 旧道を左折して下ると、中央線のガード前に毒蛇の住んだ池という「葦池碑」がある。 20号に分かれて「笹川橋」を渡ると20号線にぶつかり「笹一」酒造で一休みすれば、笹子駅は直ぐだ。 写真は、「聖護院道興歌碑」 |
旧甲州街道ウオーキングの途中で、岩殿山に登った。、
国道139号線の桂川の橋を渡り、岩殿山入口を登り444.4mの丸山到着。丸山より絶壁の山頂を望み、 急坂に挑む。何度も折れ曲がり登り「兜岩・稚児落し」分岐を過ぎると、 岩に挟まれた「揚城戸跡」に到着する。 揚城戸跡や番所を過ぎると平坦になり、乃木大将碑のある「三の丸」に到達する。 三の丸には岩殿城跡の地図があり、山頂が広く色々な建物が在ったことが解る。 二の丸を過ぎた一番高い場所が、「本丸跡」で、アンテナが建っている。 三の丸から富士山方向の展望が開けているが、富士山は残念ながら雲に隠れていた。 「岩殿山」は634mでスカイツリーと同じ高さであることが写真で表示されていた。 岩殿山ふれあいの館まで下りてきて振り返ると厳しかった急坂を思い出す。 写真は、「岩殿山ふれあいの館」から見た「岩殿山」 |
9時に笹子駅を出発し、駅前の「笹子隋道記念碑」を横に見て、駅前の国道20号線沿いの店で
「笹子餅」を手に入れ峠越に備える。 20号線沿いの「黒野田宿」を過ぎ、小1時間歩いて「矢立の杉」の大きな看板が見えてくると間もなく甲州古道。 「新中野橋」の先を左折し、「新田」から新田沢沿いの甲州古道に入る。 古道を歩いていると標高約800mの地点で突然舗装された旧甲州街道に出る、古い沢に架かる橋を渡り 大きなカーブを曲がると再び「甲州古道」が再び現れる。 古道を進むと、標高900m位の場所に少し開けた場所があり、「明治天皇野立所跡碑」がある。 写真は、「明治天皇野立所跡碑」 |
「明治天皇野立所跡碑」を過ぎて、少し歩くと「矢立の杉」が木々の間に見えてくる。
近づくとその大きさに圧倒されが、杉の幹は空洞になっている。 「矢立の杉」の直ぐ先に、杉 良太郎の「矢立の杉の歌碑」が、最近作られている。 「矢立の杉」の歌碑の下の甲州古道を進むと、橋が無く石伝いにわたる沢や、狭い急坂の尾根道などがあり、 変化に富んだハイキングを楽しめる。 写真は、「矢立の杉」 |
矢立の杉から変化に富んだコースを登っていると、突然急な下り坂になり、再び舗装道路に出る。
舗装道路を登っていくと、「笹子隋道」が見えてくる。 近づいていくと中々雰囲気のある隋道で「笹子隋道の由来」の 案内板で、国登録の文化財であると知る。トンネルの脇の急坂を登ると「笹子峠」に到達する。 「笹子峠」は、1,000mを超え、「笹子雁ヶ腹摺山」と「大洞山」方面の十字路になっている。 峠からは、笹子方面が僅かに展望できる。 また、道標の「大和 日陰」の「村」がテープで消されているのは 「市」になった誇りか? 比較的なだらかな道を下ると、シンプルなデザインの「隋道の反対側」に出る。 再び古道を下ると、「古道」の木が伐採され歩きやすい。 「甘酒茶屋跡」「馬頭観世音菩薩」「桃の木茶屋跡」などを見ながら、天狗橋に至る。 「脇本陣」「本陣」の跡を見ながら、 「駒飼宿」を通り、「鶴瀬宿」を過ぎると「甲斐大和駅」は目の前です。 写真は、「笹子隋道」 |
9時過ぎに甲斐大和駅を出発し、諏訪神社の前を通って国道20号に入り、大和橋を
渡って旧甲州街道に入る。旧街道の雰囲気のある部分は短いが、 途中に「常夜灯」も あり、少しだけ旧街道の雰囲気を味わえる。再び20号線に出てしばらく歩くと、20号の 隋道の手前に標識があり、そこから急坂を登ると急に視界が開けて「聖観音堂」が あった。こんな険しい崖の上に(今は大分荒れているが、)どうして立派な観音堂が在るのだろう? この観音堂の細工や 壁面の額なども往時の素晴らしさを留めている。 また、わらじを積み上げた小屋は、旅人が奉納したものだろうか?。 下りは観音堂の正面側の細い急坂を下ると、再び旧街道に出る。 舗装された道を左側に向かって少し行くと道路脇の切り立った崖の上に古跡「武田 不動尊」があり、はるか上にはつり橋も架かっている。 静かな道を更に進むと旧甲州街道の標識があった。 写真は、「聖観音堂」 |
旧街道は直ぐに終わりになり、再び大型車の行きかう20号に出る。
しばらく多くの車の行き交う狭い歩道を歩き、「大日影トンネル遊歩道」の看板 が現れるとそこが深沢入口。右折して広い車道坂道を登ると大日影トンネルの案内板 がある。大日影トンネルは、中央線の 古いトンネルで隣の駅まで歩いて通ることが 出来る。再び深沢入口まで引き返すと、そこは「柏尾の古戦場」で、 「柏尾戦争の資料」 や「近藤勇」の銅像、 江戸時代の柏尾橋、「明治の柏尾橋」「大正時代の柏尾橋」など の案内板が整備されている。 写真は、「大日影トンネル」 |
再び車の行き交う20号線に沿って歩く。国宝建物の有る「大善寺」を過ぎると、
20号から別れて直進する。旧街道は、両側にぶどう棚の続く勝沼の町が続く。 「勝沼脇本陣跡」や 「本陣槍掛けの松」を過ぎると、 この辺りから勝沼の古い街並が 続き、そんな中に溶け込んで旧田中銀行もある。 等々力交差点を過ぎると、道は国道411号となり、再び車が多くなる。 途中から国道を外れ、日川沿いの道を歩き日川橋を渡る。 橋を渡って、直ぐに右折し白山神社の前から再び旧道を歩く。 旧道は、カリンや柿の実り豊かでのどかな道がしばらく続くが、笛吹橋の手前で 再び411号に合流する。 写真は、「旧田中銀行」 |
笛吹橋を渡って、石和温泉郷東を過ぎて再び旧道を歩くと、「笛吹権三郎の像」がある。
「石和本陣跡」を通り、交通量の多い国道を歩き続け、酒折駅前を通り、 身延線善光寺駅の高架下を抜けて、左折、右折を繰り返し印傅博物館の前を通り、 岡島の前を直進して甲府警察署の交差点を右折すれば、その先が甲府城跡。 城門をくぐり、一周する感じで「甲府城天守閣跡」を登る。 天守閣の跡からは甲府市内を一望でき、「明治天皇の御登臨の阯」の碑が建っていた。 天守閣跡からは、黄砂で少し霞んでいたが富士山も綺麗に見えた。 写真は、「甲府城天守閣跡」 |
甲府駅に10時前に着き、「旧甲州街道ウオーキング」を再開する。
駅前の平和通りから城東通りを経由して遊亀通りまで戻って、旧甲州街道の続きのスタート。 遊亀通りを右折して 通りの先に南アルプスを望む相生歩道橋から美術館通りを西に向かって歩く。 ミレーの絵でお馴染みの山梨県立美術館の前を通り、中央高速の下を通過すると、 左手に日蓮の遠忌碑がある。竜王新町の交差点を右折し、中央線の踏切を渡る。 道はだんだん急な上り坂になり、途中「赤坂供養塔」や「諏訪神社」の前を歩く。 振り向くと道の向こうに富士山が見え隠れする。 坂の頂上付近にコンビニが有り、道を斜めに横切って右手に八ヶ岳を見ながら坂道を下る。 蔵屋敷の沢山残る道を下り、「明和の石畳」のある自性院の前を進み、坂を下ると 中央高速の下にある中央線の煉瓦のトンネルがある。トンネルを潜り線路沿いに進むと、 武田勝頼夫人が燃える新府韮崎城を振り返って涙を流したと言われる「泣石」がある。 写真は、「泣石」 |
塩崎駅の前を進むと、170cm位しかない低い石鳥居のある船形神社が右手にある。
道に沿って歩いていたら左手に川が見えてきて、間違いに気づき右折して「金剛地」に行く。 再び線路に沿って八ヶ岳を右前方に見ながら歩いて韮崎宿に入る。 下宿の交差点の小さな通りが、かって賑わった「鰍沢横丁」だった。 本町の直ぐ先に「窟観音」の霊願寺があり、丁度お祭りが行われていた。 「にらさき文化村」になっている小林一三翁の生家跡の前を通り、 市内を抜けて20号線に合流すると「十六石」がある。 上祖母石の集落を突っ切り、350度引き返して20号線を戻り、「桐沢橋」を渡る。 原山神社を左手に仰ぎ見て急坂を登り、橋を渡って左折し、「徳島堰」いの山裾の道を歩く。 道の遠景に八ヶ岳が見え隠れする。 主に堰沿いの、のどかな田舎道を進み最後に20号線何度か交差して、 牧原の集落に入り、ちょっと行き過ぎて引き返して、本日の宿「近江屋」に着く。 写真は、「徳島堰と八ヶ岳」 |
近江屋でゆっくり休み、朝食のため食堂に行くと、窓から甲斐駒ケ岳が綺麗に見えた。
旅館の裏の旧甲州街道に戻って、ウオーキングの続きをスタート。風の強い中大武川橋を渡り、 左折して正面に南アルプスを仰ぎ見ながら下三吹の集落を通って、「庚申塚」のある交差点を 左折して、万休院へと坂を登る。「舞鶴松」は残念ながら無くなっているが、南アルプスを背景に した見事な庭園は足を延すだけの価値が有る。風景を楽しんで再び庚申塚の交差点まで戻り、 上三吹を通り、尾白川橋を渡る。直ぐに左手に「甲州街道 古道入口」の石版のある。 未舗装の道に入ると「横山の道標」があり、旧街道の雰囲気を十分楽しめる。 横山古道は、林の中を通り農地を抜け、川沿いの道を進む道で、最後は国見坂の登りになっていた。 登りきると「庚申塔と馬頭観世音」があり、20号線を横切ると「台ケ原宿」に入る。 台ケ原宿は良く整備された綺麗な町で、本陣跡、山梨銘醸「七賢」、「金精軒」など 見どころも多い。台ケ原の町を抜け白須下からは甲斐駒ケ岳の雄姿が目前に迫る。 湯川橋を渡りサントリーウイスキー博物館とは反対の古道を進み、荒田を抜け 教来石に入る。 写真は、「金精軒」 |
釜無川を見下ろしながら教来石の旧街道を進み、大目沢橋を渡ると「山口の関所跡」がある。
左手に南アルプスを見ながら、旧街道を進んで、新国境橋の手前で20号線と交差する場所に 大きな「山口素堂」の句碑があり、その横を釜無川沿いに進み、国境橋を渡る。 国境橋を渡ると「感電ゲート」があり、手袋をして感電しないよう注意してゲートを開けて通過する。 20号線を横切り、坂を登ると途中に「日蓮の高座石」が有る。坂道を登り下蔦木の 集落を進み、木々の中にある真福寺にぶつかると左折する。道なりに進み応安の古碑を過ぎると、 道は下り坂になる。坂の途中で20号線に下り、道の駅「蔦木宿」まで引き返して昼食をとる。 再び元の古道に戻り、蔦木宿の中を歩くと、「桝形道路」の石碑があり、その前の道を左折し 20号線に出る。国道の両側に「屋号の看板の付いた家」が軒を並べていて、旧本陣大阪屋跡のそばに 蔦木宿全体の案内板がある。更に進むと、西の桝形があり、再び20号から離れる。 20号の近くを並行したり20号線に戻ったりしながらだらだら登り、瀬沢大橋を渡って山道に入る。 峠を越えて、尾片瀬神社や「とちのき防風林」を横に見て、「950m標高標柱」を過ぎて突き当りが 本日の終点。右折して中央線で一番高い場所にある富士見駅に向かう。 写真は、「蔦木宿 旧本陣 大阪屋跡」 |
富士見駅を出発し、前回のコースまで戻り旧甲州街道をスタートした。
しかし、コースは地図には有るが、道は無い。歩ける場所を探しながら荒れ地を進んだ。 何とか草をかき分け進むと舗装道路に出ると、そこが「原の茶屋」だった。 道沿いに「甲州街道」の看板や道祖神を見ながら進むと、国道20号線と合流する。 しばらく進むと境内に巨大な欅のある「神戸(ごどう)八幡」がある。 神戸八幡を過ぎると、馬頭観音のある分岐が有り、再び旧甲州街道に入る。旧甲州街道を数分進むと、 御射山神戸(みさやまごどう)一里塚(右の写真)がある。 しばらく静かな道を進み、再び20号線と合流すると、そこは「金沢宿」だが、本陣跡にも何もない。 金沢橋の手前で旧道に入り、金沢橋を綿って「桝形」の旧道を歩く。 旧道は20号線を横切り、田んぼの中の道となる。並行する20号線には茅野までの唯一のコンビニが在る。 しばらく20号線を進み、宮川の集落で大きく引き返す形で中央線を越えて旧道に入る。 しばらく静かな旧道を進み、中央線のガードを潜り「宮川酒室」で20号線に出る。 宮川酒室の交差点の上の小高いb所に酒室神社が在るが、荒れているうえ小さな祠だった。 中央高速の下を通り、茅野の町中に入る。駅前の道に面して大鳥居がある。 しばらく20号を進み、茅野上原郵便局の前で右折して旧道に入る。 中央線の下を通って進むと、常夜灯と共に「江戸へ」の道標が有る。 山裾に沿った旧甲州街道沿いには、多くの神社やお寺がある。 写真は、「御射山神戸一里塚」 |
「江戸へ」の道標を過ぎて、山裾の道を進むと「五十一里塚」があり、
その先には木製の常夜灯があった。四賀桑原の交差点を過ぎると右手に 「足長神社」の長い階段が現れた。階段を登ると拝殿と舞屋が有り、何れにも立派な彫刻が施されている。 そして、足長神社の境内から、初めて諏訪湖が望めた。 何度目か20号線と合流して諏訪市内を進みながら、20号と近接する甲州道中を探し出して歩く。 旧街道が終わり、20号と合流して少し進み、再び右手の旧道に入り上諏訪駅と並行して進むと、吉田の松がある。 吉田の松を過ぎて、大きく山側に曲がると「児玉石神社」や「先宮神社」などが山裾に並んでいる。 大きな室になっている古木などを見ながら進むと、甲州道中茶屋跡の立派な建物がある。 「一里塚」や「承知地蔵尊」等を右手に見ながら進むと、突如諏訪大社下社秋宮の前に出る。 下社の左手の道を進むと番屋跡が角にあり、その先数十メートルで中山道に合流する。 合流地点には立派な標識が立っていた。 旧甲州街道のゴール地点に立ったあと、諏訪大社下社秋宮に参拝する。 写真は、「中山道と合流点」 |
「下諏訪駅」前から諏訪湖一周のウオーキングにスタートする。
中央線の下を通って真っ直ぐ南下して湖岸通りまで出て、右回りに湖岸を一周する。 歩き始めてしばらくすると、南側に突き出した場所に「ボートコース」がある。 コースの先は綺麗な花の咲く歩道だった。 歩道は、十数個ある湖岸の橋の最初、「砥川」に架かる「砥川橋」を渡る。 湖岸に沿ってSLのD51や、白鳥飛来南端の地のモニュメントを見ながら進む。 岡谷湖畔公園“いこいとやすらぎのゾーン”を過ぎると天竜川の源流釜口水門がある。 釜口水門の南側も公園になっており、釜口水門建設時の機関車や小口太郎、琵琶湖周航の歌の碑等がある。 釜口水門から中央高速と並行して進む湖畔の並木道は新川まで続く。 新川を過ぎると小さな川に架かる橋を幾つか渡り、原田泰治美術館を過ぎ、上川大橋を過ぎると、 上諏訪の市街地が右手に広がる。諏訪市湖畔公園を過ぎ、北沢美術館の前を通る頃から歩道は だんだん西向きになる。「湖岸承知川橋」を渡り、しばらく進むとハーモ美術館がある。 ハーモ美術館で一休みして、湖畔の出発点に到着し、北上して下諏訪駅に戻った。 写真は、「諏訪湖の船溜まり」 |